火星語翻訳者(前編)
火星語の翻訳をなさっているんですよね。
地球人が火星語を知っている!?
どうやって火星語を手に入れたのですか?
その勉強法は?
それが火星語だっていう証拠は?
火星人なんて、存在するのでしょうか。
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文字通り、ぼくは火星語の翻訳をしています。
火星人って、存在するんですよ。
火星語の文書も持っています。
実はぼく、火星に友人がいるんですよ。
昨年2003年8月27日の火星大接近の話、まだ記憶に新しいですよね。
その日に会ったんです。火星人の女の子に。そして,その家族に。
ぼくの本業はタクシーの運転手で、その大接近の日も仕事をしていました。
夜10時を回ったくらいでしょうか……。
「家までお願いします」
小学生か中学生くらいの女の子が一人乗ってきました。
そこは長野県の松本市。彼女の自宅は長野市だそうです。けっこうな距離です。
彼女はとても疲れたような様子でした。
それに、何も荷物は持っていません。手ぶらです。
夜遊びにしても何かおかしいなあ。
しかしぼくはあまり深く考えませんでした。
彼女の家は山に近いところにありました。
まわりに建物はほとんどありません。
少しはなれたところに2軒、家があるだけです。
到着したのは、日付が変わる少し前くらい。
ブレーキを引いて外を確かめたとき、ぼくは「あっ」と驚いてしまいました。
なんとそこは、ぼくの家だったのです。
気づくのに遅れたのは、一回しか来たことがなかったことと、今が暗いからでしょう。
眠たかったぼくは、一気に目が覚めました。
とにかく驚きまくりです。
「この家の子? もうすぐ引越しするんでしょう」
いてもたってもいられなくなり、ぼくは思わず聞いてしまいました。
彼女は驚いた様子でうなずきました。
「実はぼくね、9月からここに住むことになっているんだよ。じゃあ、お勘定お願いね」
しかし手ぶらの彼女に所持金などなく、彼女は「ちょっと待ってて」と家に入っていきました。
何も持たずに、なんで遠くにいってたんだろう。
なんだか不思議な気持ちになりました。
しかしそれは彼女のプライバシー。聞いてはなりません。
ぼくはタクシーを降りました。
自分の家になるという建物は、何度見てもいいものです。
やっぱり自分の家って,うれしいじゃないですか。
少しすると、お父さんらしき人が彼女と一緒にやってきました。
そして、
「どうも、夜遅くに娘がご迷惑をおかけしました」
と、頭を下げました。
「いいえ、とんでもない。仕事ですから」
“お父さん”が頭を上げ、その顔を見たぼくはまたもやびっくり。
「火星博士!?」
何と、彼女のお父さんは、ぼくの元同僚でした。
すっごく仲のよかった、親友でもある人でした。
火星博士とは、彼のあだ名。
火星や宇宙好きなことで有名だったからです。
ぼくはそのうれしさに、思わず彼の手を握ってしまいました。
「いやあ,こんなところで会うとは。全然変わっていないなあ」
「ワ、ワトソン?」
彼もすっごく驚いていました。
ぼくのことを覚えていてくれたみたいです。
ワトソンとは、ぼくのこと。
本来は探偵の助手の名ですが、火星博士とは特に仲がよかったため、なぜか彼の助手の意味でこう呼ばれるようになってしまったのです。
15年ぶりの再会でした。
お代を頂戴した後、ぼくたちは星空の下で少し話をしました。
9月からこの家に、ぼくと家族が住むという話をしたら、彼は再び驚きました。
そりゃあそうでしょう。
自分が住んでいる家に、久しぶりに会った自分の友だちが住むというのだから。
「そういえば、今日は火星が大接近する日だったな。もしかしてさっきまで、望遠鏡で火星、眺めていたのか?」
彼は大の火星好きでした。大きな望遠鏡も持っているのです。
ぼくは彼によく宇宙の話を聞かされ、それで天文学に興味を持ち始めました。
「火星儀とか火星の土地とか、買ったか?」
しかしその話題になると、なぜか彼は黙ってしまいました。
この話をすれば、終わりがくるのかわからないくらい語り続けるという彼が、一言もしゃべらないのです。
ぼくはもう一度いいました。
「火星だよ、火星。この接近の日をずっと楽しみにしていたじゃないか」
何度いっても彼は苦笑いをするだけでした。
いった何があったんだ?
彼の顔は、どこか寂しげな感じでした。
「……まあ、15年もたったんだ。趣味が変わったって珍しいことじゃない、よな」
ぼくは静かにいいました。
あれから15年もの月日が流れたのだから。
10年以上たったぼくの顔は、しわもしみもふえ、よけいに“おじさん”になっていました。
頭は白髪が出はじめたし。
だけど何度確かめても、彼にはそれがなかったのです。
暗くてよく見えないっていうせいではないのです。
まったくというほど、あのころと変わっていなかったのです。
最初に彼を見たときは,別に気にはなりませんでした。
もともとあいつは同い年でも若く見えたし,だから今でもそうなのかと思っていました。
それにしても,おかしすぎる。
「博士は、ぜんぜん変わってないな」
年をあまりとっていないように思えました。
それでいて、臆病になったというか、何かをおそれているような……。
あのときのような輝きはなかったのです。
いや,というか,娘さんのお礼を言われたときは、まだ生き生きしていたような気がします。
態度が変わったのは,話し相手が“ぼく”だってわかったときから……?
彼に不信感がつのってしまいました。
若いままで、それでいて性格が変わってしまって……。
親友とはいえ、ぼくは思い切って聞きました。
「“あれ”なのか?」
彼の顔色が少し悪くなった気がします。
「今回の引越しとそれと、何か関係があるのか?」
ぼくはもう少し突っ込んでみることにしました。
いえばいうほど、彼は顔を背けてしまいました。
そしてぼくが再び口を開こうとしたとき、彼は向き直ってこういったのです。
「火星人、なんだ……」
「――!?」
「だから、成長速度がちがう」
ぼくは、思わず一歩後ろに下がってしまいました。
それを見た彼は、ため息をひとつ。
「やっぱ、そうだよな。怖がって当然だよな……」
「ごめん。つい……」
初めて見る彼が、目の前にいるような気がしました。
「それを聞きたかったんだろう?」
ぼくはごくりとつばをのみこみました。
「……ちがうよ。てっきり薬のせいかと……」
ちょこっとだけ、ぼくの声は震えていました。
「変な薬を飲んだとか、麻薬中毒にでもなったのかと思ったんだよ。だからそれがみつかって、警察から逃げるところかと……」
彼が火星人だなんて、そんなことってあるのでしょうか。
ぼくの頭は混乱状態でした。
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しばらくぼくたちは。夜空を見上げていました。
頭上には無数の星と、ひとつの赤く輝く星。
今日は火星が一番近い日なんだよなあ。
星を見ていると、だんだん心が落ち着いてきます。
ぼくはぼーっとしながら、ゆっくりと考えました。
そしてだんだん、彼が火星人でも別におかしいことではないような気がしてきました。
宇宙は果てしなく広い。
そんな膨大な空間なのだから、地球人以外の知的生命体がいても不思議じゃない……。
その人たちが内緒で地球に住んでいても、ありえないことじゃない。
どうにか受け入れられそうです。
よく考えてみれば、麻薬でそんなふうになることはありませんし、どこかの漫画のように薬で老化が遅くなるととか,そんなの現実にはありえません。
「ならいいんだ……」
ぼくはひとつ、息をつきました。
そしていいました。
「だから“火星博士”、だったんだな……」
彼は、年をあまり取っていない自分を見たぼくに、気持ち悪がられたり、恐がられて嫌われるのをおそれていたようです。
たしかに、ぼくだってそんな秘密を持っていたら、親友には黙っておくかもしれません。
現実に、そういうストーリーはけっこうテレビでやっています。
それを見ての影響かもしれません。
だから黙っていたほうが、何事もなく昔のままの関係でいられると思ったのです。
「ぼくたちは、そんなんで終わるわけがない」
ぼくはいろいろ聞きたいことがありました。
もう決心がついたのか、彼は昔のように話しかけてくれ、そして長い話をしてくれました。
とても優しい声でした。
ぼくと彼の絆は、まだ壊れていなかったようです。
47年前、火星と地球が接近した日、地球調査のため初めて火星人が地球に降り立ったこと。
それから1ヶ月たったころ、突然の大地震に襲われ、宇宙船が破損し、帰れなくなったこと。
火星との通信機も途絶えてしまったこと。
これらはすべて、直す道具や部品が地球のものと異なっていたため、直すことができなかったこと。
なすすべもなくなった火星人たちは、地球で暮らすことをしいられたこと。
その後、苛立ちの中でいろいろと仲間内でもめ、7人の乗組員たちがいくつかのグループに分かれてしまったこと。
それでも一人の火星人が、いっしょにきた恋人でもある同僚と仲直りをし、結婚し、子どもを生んだこと。
それが自分であること。
数年後、自分も別の火星人同士の間にできた子と結婚し、子どもが生まれたこと(そのころには、ほとんどの火星人と和解していたようです)。
それがぼくが乗せてきた、あの女の子だということ。
それからもずっと仲間とともに、火星に帰れることを信じて待っていたこと。
何年もの研究の結果、やっと通信機だけは直せたこと。
そして今回の火星大接近に伴い、運良く火星と連絡をとることができ,今夜仲間が迎えにくるということ。
ぼくは彼が何といっているのか、よくわかりませんでした。
とにかく聞きなれない、膨大な情報量だったので、何度も繰り返し聞いてしまいました。
彼のこの若いままの姿を証明するには,ほかの理由なんかまったくなかったのです。
火星人の成長速度は、地球人とは異なるみたいです。
だから彼はあやしまれないよう、家族といろいろな土地を回ってきたというのです。
彼とぼくは同期で,本当に仲がよかったんです。うそをついているようには見えません。今回のことを隠さず話してくれたのだって,ぼくに隠し事をしちゃいけないって思っていたからだと思います。
そういうやつなんです。
それからぼくは、彼の旅立ちが今夜だということを知りました。
あまりにも早すぎる別れでした。
最後に彼はいいました。
「そろそろ時間だ。迎えがくる。もう少し準備があるから、ここでお別れしなくちゃいけない。本部にこのことがわかるとどうなるかわからないから、どこかに隠れていてね。 これから帰るよ。何年も夢見た火星へ。もしも信じてくれるのなら,近くから見送ってほしい。……ワトソン」
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――約20分後、宇宙船はあらわれました。
ぼくが思い描いていた,ラムちゃんが乗っているようなあれとは違いました。
ミニスペースシャトルという感じでした。
乗り込んだ彼らが向かった先は、話の通り,赤く輝く火星、でした。