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 公会堂を出て右に曲がり、敷地から少し歩いていくと,手前に人影が見えた。
 この時間、車はよく見るけど,歩いている人がいるっていうのはまれ。
 その人は,だんだんわたしに近づいてくる。
 茶色の帽子をかぶったおじいさん。
 背が高くてやせ型。手には黒いトランク。頭には茶色の帽子。
 これからどこかに出かけるんだろうか。
 向かう先には駅がある。
 
 すれ違おうとしたとき,おじいさんの足がぴたりと止まった。
 視線の先は,わたし。
 ちょっとだけ恐くて、歩く速度をあげようとした時、

「おはよう」

 見知らぬおじいさんは帽子をとり、にっこりほほ笑んできた。
 わたしに向かって。

「お,おはようございます」

 思わず立ち止まってしまった。
 誰だか知らないけど,とりあえずあいさつはしなくちゃ。
 頭を上げると,おじいさんの顔が近くにあった。
 ほっそりした顔つき。髪は黒に少し白髪もあり。そんで黒ぶちめがね。

「また会ったね」

 え?
 知り合いでもないのに,そういわれた。
 ただの朝のあいさつではないようだ。
 新手の誘拐?
 とっさに身構えたけど,次の一言で,そんな必要はなくなった。

「きのうはありがとう」

 きのう?
 ああ。
 もしかして……。

 このおじいさんに会った覚えはない。
 だけど、心当たりはあった。
 りんごちゃんがいっていた“おじいさん”。
 忘れるわけがない。
 りんごちゃんの目を緑色にした人。
 りんごちゃんはそのおじいさんの特徴まではいわなかったけど,きっとこの人に違いない。
 雰囲気がそれっぽい。
 なんとなくだけど、わかった。
 
「もしかして図書館の……」

 おじいさんはゆっくりうなずく。
 やっぱり。
 なんてったって昨日の話だ。
 でもこのおじいさん、りんごちゃんとわたしを間違えている。
 双子だし、髪型いっしょだから,見分けがつかなくたって不思議じゃないけれど。

 このおじいさんが、“魔法”を使ったようだ。
 もしそれが本当なら、りんごちゃんの目を元に戻す方法を知っているかもしれない。

 おじいさんと、話してみよう。
 わたしはつばを飲み込み、覚悟を決める。

「あの、緑色の目のことなんですけど……」
 すぐに本題を切り出す。

 りんごちゃんの目の色をかってに変えて,元に戻す方法も教えないで立ち去ってしまったおじいさん。
 しかし再会できたんだ。
 ここでこのおじいさんと別れたら,もう一生会えないかもしれない。
 そしたらりんごちゃんの目は、一生あのままだ。
 本人は気に入っているっていっているけど、これじゃあまずいだろう。
 わたしがなんとかしなくては。

 おじいさんはわたしの目を見ると、ゆっくりひざを曲げ,視線を同じくした。
 そして、頭を下げた。
「きのうはごめんな。お礼とはいえ、お嬢ちゃんの目の色変えちゃって。びっくりしただろう」

 びっくりどころじゃないよ!

 そういい返そうと思ったけれど、やめた。
 とても穏やかでやさしい声だったから。
 よく考えてみれば、りんごちゃんの目の色にあたふたしているのはわたしだけだし。
 それに、ファンタジーを感じているりんごちゃんのこと、勝手にわたしが何かしちゃってよいものだろうか。
 それも、りんごちゃんになりすまして。

 少し,後ろめたくなった。

“本当はわたし,きのうの子じゃないんです”
 そういおうとしたけど,おじいさんの言葉の方が先に出た。
 
「安心していいよ。あれはね、普通の人には見えないんだ。おうちの人と話していても,問題なかっただろ?」
「え? は、はい……」

 なんか今、大事なキーワードが……。
 お母さんたちには見えなかった緑色の目のこと。

 そうなんだよね。
 エミちゃんにも見えなかった。
 これは、一番気になったんだよ。
 りんごちゃんの目の色が緑だってわかったのは、わたしとりんごちゃんだけだ。

 どうして?

 わたしがきき返す前に、おじいさんは話してくれた。
「あれはね、いいことが起こるおまじない。お譲ちゃんが一番好きな場所で」
 りんごちゃんの好きな場所?
 そんなの図書館しかない。

 おじいさんは続けていう。
「きのう、あの後行ったんだろ? 目の色が元に戻ってる」
「え? 元に?」
「ん?」
「あ、なんでもないです」

“あの子とは双子なんです。わたし、りんごちゃんじゃないんです。ごめんなさい”
 本当のこといおうとしたけど、声が出なかった。
 なぜかその事実は隠してしまった。
 なんでだろ。

 そんなこと思っていたら、おじいさんは腰を上げた。
 そして軽く頭を軽く下げ,
「じゃあね」
と、歩き出していってしまった。


 本当のこと、いえなかった。
 ただその姿を見送ることしかできなかった。
 ウソをついたってわけじゃないけど,なんだか気分が悪い。

 それに、話したいこといっぱいあったのに、ろくに話せなかった。
 おじいさんの姿が見えなくなると、急に肩の力が抜けた。
 
 それでもわたしは、少ないながらも貴重なおじいさんの言葉を頭の中で再生する。

『あれはねえ、いいことが起こるおまじない。お譲ちゃんが一番好きな場所で。きのう、あの後行ったんだろ? 目の色が元に戻ってる』

 そういえば,りんごちゃんも同じようなことをいっていたような気がする。

『これを目に通して見ると,違った世界が見えます。実はこれ、魔法の眼なのです。お嬢さんがその運命の場所に行ったとき,きっとすてきな体験をするでしょう』

 緑色の目に害はない。
 よくわかんなかったけど、目の色は元に戻る。
 りんごちゃんの一番好きな場所で。
 おそらくは、図書館。
 ゆたかの中央図書館。
 どうしておじいさんがりんごちゃんの一番好きな場所を知っているかというのは,きっとりんごちゃんが自分からいったからに違いない。
“図書館はあそこです。あたし、よくそこに通っているんですよ”
とかなんとか。

 今日もりんごちゃんはそこへ行く。
 つまり、夕方にはりんごちゃんの目は元通り。

 でも、いいことってなんだろ。
 図書館で起こるいいことっていったら、“雫ちゃん”なんだろうか。
「耳をすませば」にあるような“出会い”ってヤツ。


 朝食を食べ終えたあと、りんごちゃんは9時の開館にあわせ、家を出て行った。
 宿題もやるそうだが、一番の狙いは新刊本だ。
 今日は土曜日。新刊が書架に並ぶ日だから。
 りんごちゃんを見送ると、わたしは茶の間のテレビをつける。
 土曜午前8時半。
 女性のお笑いコンビが司会をやっている,“世の中を知ろう”っていうのをテーマにした番組にチャンネルを合わせる。
 それを見つつ,一方で頭の中には,別の考え事もあった。

 おじいさんと会ったこと。
 わたしはまだ、それりんごちゃんに話してない。
 別に内緒にするつもりはないけど、“いいことが起こる”っていうのはりんごちゃんだって知ってる。
 もう一度いう必要なんてないだろう。
 それに,緑目を気に入っているりんごちゃんに対して、“図書館に行けば元通りだってさ”、なんて,がっかりさせることはいえるわけがない。
 根拠がないんだし、うそかもしれないんだし、よけいな心配かけたって、逆に迷惑だと思う。
 悪いことがおこるんじゃないんだから、このままのほうがいいと思った。
 いいことが起こるんだから、何もいわないでびっくりさせるほうがいいじゃん。

 時刻は午前9時。
 壁にかかっている時計からは、9時を知らせるメロディーが流れている。
 ビートルズの、“レット・イット・ビー”。
 お父さんがいってた。

“なすがままに”っていう意味なんだって。
 
 図書館、開館。
 運命の扉が、開かれたような気がした。